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M.R.B トレーディングでは、小売業者様のために展示会用のギャッベやキリムの貸し出しをしております。 |
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貿易会社 専門誌 「colllection 2005年 7月号」で
第16回「オロシの国の住人たち」に特集として紹介されました。 |
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代表ライナメイアーの来日したきっかけから、イランでの生活、ベトナムでの苦労体験、M.R.B トレーディング設立のきっかけ、遊牧民との触れ合い、お客さんをの触れ合い、今後の展開などM.R.B
トレーディングの目指すべきもの、大切にするものが特集されています。
実際特集記事をご紹介します。
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【特集記事からの引用文】
-日本に来てもうどのくらいになりますか?
途中でイランにもどったりベトナムにいたりしましたが、最初に来日したのは12年前になります。話がさがのぼりますが、私はもともとイランでサッカー選手をしていました。
7歳からサッカーを始めて、15歳でイランのイスファハンという、日本でいえば京都みたいな伝統的な街のプロチームに入り、18歳でジュニアナショナルチームに招待されたんです。
19歳から徴兵お兼ねて軍のチームに所属し、けっこうハードな毎日を送っていました日本に来る前までは、サッカーが私の仕事でした。
-サッカー選手だったとは驚きです!。ではどのような経緯で来日されて現在のお仕事を始めるようになったんですか?
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所属していたチームの監督と意見が合わなくてひとまずサッカーとういう仕事から離れてみることにしました。ちょうどそのころ知人から日本に観光に来ないかと誘われたんです。私は海外旅行が好きでトルコ、ルーマニア、ドイツ、ブルガリアなどイラン周辺はいろいろと旅をしてきたけれど、まだアジアにはいったことがなくて、だからとても興味がありました。
最初に日本を見た時は、自分が想像していたイメージとは違ってびっくりしましたけれどね。イラン人と比べて性格も行動もすべて違うし…。 |
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だけどすごく日本が好きになった。だからしばらく日本に残ろうと思って、フード関係を扱う卸の会社に入ったんです。そこで働いて感じたのは、なんでこんなに日本の物は高いんだろう?もっと安くできるのに…ということ。
その疑問をヒントにして私はいったんイランに戻って貿易会社を作ったんです。日本の会社で働いたおかげで卸業の感覚もつかめていたし、物を売る商売には自身がありましたから。
-来日がきっかけで貿易の仕事を始めたんですね。でもどうしてそこからベトナムにいくことになったんでしょうか?
それはサッカーに例えることができます。一度、土の上でサッカーができるようになれば、芝生の上ではもっと簡単に上手にプレーができる。つまり先にハードな環境で仕事をしとおけば、次の仕事はもっと上手にできると思ったんです。
そうゆう理由で、私はベトナムのホーチミンで仕事をしてみることにしました。その4年間、現地の人はそう簡単にお金をださないしもう本当に大変だった。最初は毎日スーツを着て、自転車に乗って街にある店を一件一件営業しました(笑)
ところがある日、ベトナムで有名なアオザイのデザイナーと出会ったんです。そこで私は彼にお願いしました。いらんの伝統記事でアオザイを作ってもらって、一着だけいいから彼のファッションショーの中でその服を発表してくださいと。最初は断られたけど、それでも必死にお願いしました。
するとファッションショーの当日、なんと彼は全て私から買った生地でデザインしたアオザイを発表してくれたのです!。ショーの最後には、ミス・ベトナムもその服を着てくれていた。ペルシャ絨毯のような記事で作られていたアオザイは、とっても美しくて個性的で、驚きました。
外国から見に来た人たちにも大好評で、おかげで結果的には記事をたくさんセールスすることができたし、いらんの伝統生地の素晴らしさを知ってもらうことができたのです。そhしてその後主ベトナムにショールームを作って政界中の人達にセールスをしました。なんどもトラブルにあったけど、それがとってもいい経験になりましたね。
-ハードなみちいでも努力をすれば成功するし、学びにつながるんですね。その当時からイラン製品を狙っていたんですか?
いえいえ、ベトナムでは生地やガラス製品の他にも、アスファルトに使うタールとか、香水とかコーヒーとか、なんでも売っていました。だから私はどんなことにでも詳しいんですよ(笑)。現在のようにいらんの伝統製品だけを取り扱うことになったのは、東京に戻った時に私の親戚のコネクションをつうじてギャッベを作っているイランの遊牧民と知り合ってからです。
遊牧民のいる土地を訪ね、各テントを回って一緒にご飯を食べたりコミュニケーションをとっているうちに、自分の利益のためだけではなくて、この人たちを大切にサポートしていきたいなと思うようになりました。素晴らしい自然の中にある伝統や文化もすごく気に入った。だから遊牧民グループのトップと話をして、私が遊牧民たちの伝統製品を扱う日本始めての市移転になることをお許してもらったのです。
-遊牧民たちの生き方や製品の素晴らしさはそれだけラナイさんに感動や衝撃を与えたんですね。
イランの伝統手織物、ギャッベは手間をかけたとても心のこもっているもの。遊牧民の育てた羊の気で織って、ひと目ひと目手作業で作られる完全なオールハンドメイドです。一枚のギャッベを仕上げるには、約一年もかかります。それに一般的なペルシャ絨毯いは設計図はあるけれど、ギャッベにはない。どのギャッベも世界でたった一枚しかない、価値のあるものなんです。
日本にいるイラン人が私の売っている物を見たらちょっと驚くと思いますよ。なぜなら普通のペルシャ絨毯ならイランの街から勝手日本に持ち帰るだけでいいけど、私は毎回現地の山中まで足を運んで遊牧民たちのテントを回って、自分がおすすめできるものを探してくるからです。私は昔からみんながやらないことをやりたかったからギャッベを売る。手間がかかっても、本当に良いものを売りたいのです。
店内にあるキリムをギャッベの70%は遊牧民の手によって作られたもので、他にもやぎの毛を使った防水性のあるハンモックや、遊牧民の姿を描いたレリーフの額装など、面白いものがいっぱいあります。こうゆう商品を売る仕事ができるのは、わたしにとって素晴らしいことなのです。
それでは今後はどのようなお店にしていきたいですか?
近いうちに小売店もやりたいですね。ただし、自分の利益だけを追求しいていくわけではありません。よくお客さんにも言うんです。「買い物をするためだけに来ないでください」って(笑)
自分が時間や手間をかけてセレクトした製品だから、お客さんにも時間をかけてコミュニケーションをしながら買ってもらいたいと思う。たまに、商品を買ってくれたその数日後に「ありがとう」とうい感謝の電話をもらうことがあるけれど、こうゆうのがこの仕事をしていて一番嬉しいことなんですよ。だからお店を増やすことになっても、店内は遊牧民の素朴さや自然が伝わる、よいコミュニケーションがとれるような内装にしたいと考えています。 |
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